9月最後の空 [写真]
9月最後の日は久しぶりの雨であった。夕方、空全体が夕焼雲で覆われた。壮観である。このままのだらけた生活を続けていては身体がだらけるだけなので、内緒で秘密の場所に行って来る。思っていた通り測った数値はとんでもない数字を示していた。筋肉量だけは平均値であった。明日からは心を入れ替えて、自分い厳しく頑張っていこうと思う。まずはコロナ禍で増えた分の返上である。
画狂北斎 [写真]
夜、昨日の仕事の続きをPCでしながら、TVをつける。「森羅万象に挑む 画狂葛飾北斎」の文字が目に入った。横目でチラ見をしながら話を聞く。当然「富嶽百景」の話に及び版画が大きく映し出された。あの有名な波頭の部分がアップされる。マクロレンズではなくミクロレンズで北斎は見たのであろうか。かつて何かの番組で、波を起こしてあの波頭はどのような状況で起こるかを実験した番組があった。まさしく波頭は北斎の描いたものであった。画狂という表現がぴったりだと思った。
夢中で頑張る [写真]
昼過ぎから所属している会の仲間と、押し迫っている仕事をした。こんなに根を詰めた仕事を最近はしたことがない。午前中体調が悪かったが、そんなこともすっかり忘れて夢中で時間が過ぎた。終わるころお腹が空いたと感じた。考えたら昼食をとっていなかったのだ。その気になったらできるものだと思った。
誕生日 [写真]
今日は相棒の誕生日。お酒が飲めないのでお祝いの外食は先延ばしにすることにした。バラの花を注文する。家の中に花があるのを好むからだ。色は私の好きな黄色。居間が華やかになる。一番のプレゼントは孫が描いた絵とお祝いの電話。来年コロナ禍が収まっていたら孫を隊長さんにして,京都に旅行することを楽しみにしている。それまでには足腰を少しでも鍛えておきたいそうだ。
外で楽しく [写真]
我が家の横の道路は通称老人街道、お年寄りしか人の姿は見られなかた。しかし、ここ数年子供がいる若い家族が3、4軒越してきた。めったに車の通らないところだが、日曜や祭日には子供たちの両親が総出で片時も目を離さない感じで、子供たちを遊ばせている。その笑い声が我が家にまで聞こえてくる。道路で子供を遊ばせないのが常識だがコロナ禍の今、これだけ注意をして子供を外で遊ばせるのは素晴らしいことだと思う。車の姿が見えると蜘蛛の子が散るように素早く子供たちと親は姿を消す。
知恵 [写真]
電話の受話器を相棒が取った。珍しく大きな声で長々と話している。終わった途端ににこにこして孫におねだりされるまでに長生きできたと喜んでいる。ゲーム機をお爺ちゃんなら誕生祝いに買ってくれるかもしれないと気づき、元気いっぱいに頼んだようだ。知恵がついてきた孫に大満足している。京都旅行を一緒にしたいなどと野望は尽きることがない。写真は隣の庭の片隅に見つけた名残のタンポポ
小公子 [写真]
寝しなにアマゾンプライムのチャンネルを見ていると、大昔の「小公子」の映画のタイトルが目に入った。勿論モノクロである。少年少女世界文学全集に「小公子」「小公女」が入っていることは忘れもしないが,はてどんな話であったか記憶にない。モノクロは人物が実にきれいに映る。主人公の少年もその母親も実に美しい。今の映画には全くない古き良き時代の香りに最後まで引き付けられてしまった。
写真談義 [写真]
久し振りに若い人から声がかかり、ランチとお茶をする。お昼は若者に合わせてピザを注文。こんな機会でなければ口にすることはない。話題は勿論写真のこと。二人とも今写真が面白くて面白くてたまらないといった感じ。撮るものすべてに感動し、そのことを熱く語る。自分にもそんな時期があったと懐かしく思いだされた。夢中で撮ている時が一番だとつくづく思う。いい刺激をもらった一時だった。
包丁7本 [写真]
時折雨が降った。けれどすぐ上がる。満月が昨日でよかったと思ったが,十六夜の月も雲間に見えている。月が見える空はやっぱりいいものだ。今回我が家の長年使って錆びたり刃が欠けていたりしていた包丁を一掃して、新品7本をそろえた。どの料理にも足りる種類である。横合いから包丁そろえてもさっぱり使う機会ないだろうという声が聞こえてくるが、これでのれんのイカ刺しやネギの繋がったみじん切りとはお別れである。鮭一匹丸ごと頂いても心配はない。
中秋の名月 [写真]
今夜は中秋の名月、昨夜も雲間のからきれいな月が見えていた。満月になるのは8年ぶりということなので、もし月が出なかったらと安全策で1日前のも撮っておいた。今日は朝からあまり良い天気ではなかったが、暗くなってから空が明るくなってきた。昨日のは少し欠けていたが今夜は文句なく満月、矢張り記念にと手持ちで2階の窓から1枚。団子の用意はないが、刻々と変わる月を眺めながら、「月は隈なきを見るものかは・・・』と兼好の1節を口ずさんだ。
遭遇 [写真]
視界に何か動く気配を感じた。目を凝らしてみるとリスさんである。この時期リスさんは一段と活動的になる。冬の間の食料を蓄えておかなければならないからだ。あまりしまいすぎて場所を忘れることもあるとか。フイルム時代にリスにはまってなん十本も撮ったことがある。もうやめたと思っても目の前で可愛いしぐさをすると指が自然と動いてしまう。もう20年以上も前の話である。先日、突然見かけたがその速さに反応できない。情けない話である。
白樺林 [写真]
我が家の横の道を西にまっすぐ進むと石狩湾に行きつく。その途中までバスが通っていて洋風の公園がある。バスで30分くらいの距離である。何年かぶりでぶらっと出かけてみる。白樺林が出迎えてくれた。最初に行った頃はまだ小さかったが、今は空が見えないくらい伸びて中には根元で切られたものもある。家族ずれが林間でテントを張って、残り少ない秋を楽しんでいた。
秋光の中で [写真]
爽やかな秋の光に誘われてカメラを手に家の横の土手を散策。川の流れも干上がって雑草が勢いよく茂っている。目を凝らして見つめていると数匹のトンボが飛んでいる。羽が秋の光に当たってキラキラ輝く。枝に止まるのを待ってパシャリ。もう自分たちの季節が終わりに近づいているの知ってるかのようだ。飛ぶ姿も心なしか勢いがない。それにしても今年はトンボとの出会いが少なかったように思う。
インタビュー [写真]
北海道の印刷出版文化情報誌の季刊誌に所属している団体の紹介をしてくれるということで、2時間ほどインタビューを受けた。おしゃべりな私はペラペラ余計なことを話してしまったよが、相手はプロだからうまくまとめてくれることと思う。日ごろ思っている写真の魅力をいろいろ話したが、少しでも所属すえる会の宣伝になるならうれしい。
山法師の思い出 [写真]
山法師の実が青く成った時期にも書いたが、今はその実が赤くなる9月。葉が見えなくなるほどびっしり実をつけていたお隣の庭のヤマボウシ。昨年半分が根元から伐採され、1輪の花も咲かず1個の実もできない。私の写真のフォルダの中で赤い実がたわわになっている。なぜかいつまでたっても心から消えず思いだす。
朝のこむら返り [写真]
今朝は6時に飛び起きた。ちょくちょく起きるこむら返りがのせいだ。今回はあまり強烈ではなかったが1日後遺症が残っていた。近くの郵便局まで出かけたが違和感がある。歩くことが激減しているので筋肉の弱り方もひどい。ちょっと使っただけで筋肉痛になる。早く9月が終わって、プールや整骨院に行きやすくなってほしい。写真は車窓から撮った秋空。線路のわきには秋の草が風になびいていた。
我が家の牛丼 [写真]
昼から会合が二つあった。終わったのは4時過ぎだが、その後仲間とお茶をして帰ったので6時を過ぎていた。
久し振りに相棒が私好みの牛丼を作ってくれていた。吉野家のものとは違って色が濃くよく煮しまった我が家の牛丼である。辛子をたっぷり効かせて食べると実に美味しい。ご飯が進む。今日はゆっくり寝られるに違いない。
ポプラのベンチ [写真]
一昨日のポプラの話の続きだが、北大のポプラ並木は明治36年に植えられた。ポプラにもいろいろな種類があるそうだが、おおむね成長が早いので防風林に適しているという。用材としてはあまり使い道はないそうだが、柔らかく燃えやすい性質はマッチの棒に適しているという。台風18号で倒れたポプラはキャンパスの至る所にベンチやイスとして使われ、いまだに人々に親しまれている。
ゲリラ豪雨 [写真]
予報では昼から雨となっていたが、一向に降る気配はない。ところが3時を過ぎたころから遠雷が聞こえ始め、やがて雨がパラパラと降り始めた。一気に勢いを増した雨はアスファルトの地面を激しくたたきつける。傘をさして通りに出てみると、遠くの空は明るく陽が射している。ゲリラ豪雨に近い降り方が30分くらい続いた。次第に雨の勢いは弱まりやがて止んだ。玄関先のサルビアが雨に洗われて燃えるようだった。雨脚がはっきり見えるほどの降りはそんなにない。